姨達が捨てずに保全してきた棚田を次世代に

シェアする

不揃いの棚田が織り成す原風景、善光寺平を一望できる夜景、水を張った田んぼに月が映りこむ「田毎の月」など。

長年に及び、幻想的な景色で人々を魅了し続けている「姨捨の棚田」。

その姨捨は現在、おばをはじめ、多くの年配の方々が主体となり保全活動が行われています。

姨捨の棚田には1500枚の田んぼが

棚田とは、傾斜地にある稲作地を指します。姨捨の棚田には約1500枚の田んぼがあり、標高の高い場所では、その田んぼの多くを一望できます。

不揃いな田んぼが狭い区域に集約されているからこそ、美しさが際立つ棚田の風景。

一方、姨捨の棚田は軽トラックが辛うじて入れるほどの狭い道のりにあります。
また、不揃いの田んぼは耕運機だけでは耕作しきれず、手作業による田植えも必要になります。

そんな大変な作業を、毎年地域のご年配の方々が主体となって保全されています。

達がてずに保全してきた棚田

姨捨といえば、「おばを捨てる土地」というイメージをする人が多いかと思いますが、本当の伝説は違います。

姨捨伝説概要
① 年寄りが嫌いな殿様がいて、年寄りを山に捨てるようにお触れを出していた
② ある若者が母を捨てる際に、母の思いやりに感銘し、お触れを破って連れ帰った
③ 翌年、隣国より難題を実現できないと攻め入るという申し立てがあった
④ 若者がおばの知恵を借り、難題に回答。
⑤ 殿様はおばの恩恵によるものだったことを知り、考えを改めた。

捨てられるはずのおばの恩恵により、国を守ったという伝説が本当のお話です。

現在の棚田もまるで当時の国の殿様のように、や多くの高齢者の方の恩恵によりてられることなく、守り続けられています。

しかしながら、高齢化の波が押し寄せてきており、耕作できなくなった田んぼが増えています。

地域の保全活動を多くの方に知ってもらいたい

高齢化の波を次世代に

現在、千曲市では姨捨の棚田の保全活動を通して、多くの方に農村との交流を進める活動が行われています。
先日行われたのは「名勝姨捨棚田倶楽部」による田植え体験。東京都内など都市部から来た人達が地元の方々と交流を行いました。

Facebookにログインして、友達や家族と写真や近況をシェアしましょう。

他にも、千曲市では「棚田貸します制度(棚田オーナー制度)」による保全活動等、次世代に繋げる活動を行っています。

幻想的な風景を楽しむために姨捨にお越しになっても良し。
ホームページやSNSで姨捨を紹介しても良し。
保全のためにオーナーや会員になっても良し。
姨捨の棚田にある姪石苑(めいしえん)で、棚田保全のための募金をしても良し。

お好みにあった方法で姨捨を次世代に繋げるご支援を頂けますと幸いです。

TripAdvisorエクセレンス認証

幻想的な景色で人々を魅了し続けている「姨捨の棚田」が、この度『TripAdvisor エクセレンス認証』を獲得しました。

TripAdvisor エクセレンス認証(Certificate of Excellence)とは、旅行者から一貫して高評価の口コミを獲得している宿泊施設、観光スポット、およびレストランに授与される認証です。

姨捨の棚田は、棚田そのものの美しさをはじめ、善光寺平を一望する夜景、棚田保全の取り組みに至るまで、幅広い視点での評価を頂いています。

※TripAdvisor「姨捨の棚田」情報はコチラから
エクセレンス認証

トリップアドバイザーおすすめ

※姨捨伝説詳細
むかし、年よりを大きらいな殿様がおって、「六十歳になった年よりは山に捨てよ」というお触れを出したんだと。ある日、ひとりの若者が六十歳になった母親を背負い、悲しい気持ちで山道を登っていった。背中の母親は、なぜか「ポキッ、ポキッ」と木の枝を折っては道に捨てているが何も聞かずにそのまま深い山奥まで歩いたと。山奥に着く頃には、あたりは真っ暗。母を置いて泣く泣く帰ろうとすると、母親はやさしく言った。「途中で落としてきた木の枝を目印にお帰り」。若者は「捨てるなんてとんでもねえ」と、殿様にそむく覚悟で母親を家につれ帰り、そっと隠して暮らしたと。次の年、となりの国が「灰で縄をなえなければ国を攻める」と言ってきた。国中が困り果てたが、若者は母親に教えられた通り、縄を塩水に浸して焼き、「灰の縄」を殿様に差し出したと。ところが、となりの国では今度は「曲がりくねった穴の空いた玉に糸を通せなければ国を攻める」と言ってきた。若者はやはり母親に教えられ、一方の穴のまわりに蜂蜜をぬり、反対側の穴から糸を結んだアリを入れる方法を殿様に伝えたと。となりの国は、たいそうな知恵者がいるこの国を攻めるのをついにあきらめたそうな。殿様は、男を城に招き「なんなりとほうびを取らす」と大喜び。若者は決心し、「ほうびよりも、実は…」と、母親のことを正直に申し上げたと。しばらく考えこんだ殿様は「なるほど、年よりはありがたいものだ」と、自分の考え違いを認め、お触れをといて年よりを捨てることをやめさせた。以来、村では年よりを若者も幸せに暮らせるようになったんだとさ。